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今話題の若手プロジェクトまとめ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~

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経済産業省がこんな資料を公開している。

不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~

 

今なんとなく日本の未来に対して暗いイメージを持っている人も少なくないと思う。若い人は特に。そんな人たちに是非とも一読してほしい。というのも、ぼくら若者が主体となって、「日本を明るい未来に導いていけるのではないか」と、希望の兆しを見出すきっかけになるかもしれないからだ。

 

  

定年後の活躍の場がなくなっている

若者の社会貢献意欲は高いのに、活躍できていない。

 

健康に過ごせる老後は伸びている。ゆえに65歳だからといって、動けないという認識は少しずつ古くなっている。「65歳=高齢者」「高齢者=弱者」という認識は必ずしも正しくなくなってきたのだ。

 

資料によると、65歳以上でも働く意欲のある人は6割以上いる。にも関わらず、定年後はテレビを見て生活している人が大半だ。これは非常にもったいない。彼ら曰く、一人暮らしや仕事なしでは、定年後に生きがいを感じにくいという。

 

人生最後の一ヶ月に手厚い医療を施すべきなのか

現在の手厚い医療は、必ずしも高齢者を幸せにしていない。残り少なくなった人生を病院で過ごすのか、家庭で過ごすのか。その選択肢が与えられていないからだ。

 

人生最後の一ヶ月に、 莫大な費用をかけてありとあらゆる延命治療が行われる現在。国民医療費の約2割が80歳以上の医療費であり、 その多くを入院費用が占めている。

死ぬ直前まで入院を望んでいるのか。他の選択肢はないのか。

 

実際、米国では、 本人の意向を踏まえたケア提供により、病院で亡くなる人が減少している。また、フランスでは、 医療現場と国民が医療の限界を受け入れ、終末期の選択肢が拡大されている。

 

高齢化が進む中、延命という考え方のまま、際限なく医療・介護・年金等にどんどん富をつぎ込むことに、 日本の社会はいつまで耐えられるのだろうか。

  

政府がレールを敷いてあげられない時代

この時代おいて、みんなの人生にあてはまり、みんなに共感してもらえる「共通の目標」を 政府が示すことは難しくなっている。一人当たりGDPが伸びても、かつてのように個人は幸せにならない。

 

現代において、「つながり」「健康寿命」も幸福の重要な要素となっている。(ウチのコットホームは、わりとトレンドを掴んだものだと思い込んでいる。ふふふ)

 

社会の豊かさを追求することは重要だが、合計値としてのGDP、平均値としての1人当たりGDPを増やしても、かつてほど個人の幸せにつながらない。幸せの尺度はひとつではなく、ましてや政府の決めることでもない。

 

それに気づいた一部の国では、個人の幸福感や満足度をつぶさに観測しながら、個人の選択を支え、不安を軽減するための柔軟な制度設計に リーダーシップを発揮しはじめているのではないか。

 

戦後、日本は、世界に誇れる社会保障制度の構築に成功し、公平性を維持した経済成長を実現した。しかし、本格的な少子高齢化が進む中、 過去に最適だった仕組みは明らかに現在に適応していない。

 

既に人々の価値観は変化しつつあるにもかかわらず、 過去の仕組みに引きずられた既得権や固定観念が改革を阻んでいる。「シルバー民主主義」を背景に、大胆な改革は困難と思い込み、 誰もが本質的な課題から逃げているのではないか。

 

日本の未来に希望を見出すには

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従来の延長線上で行われている制度を少しずつ手直しするのではなく、今こそ、社会の仕組みを新しい価値観に基づいて、抜本的に組み替える時期に来ているのではないか。

 

  1. 一律に年齢で「高齢者=弱者」とみなす社会保障をやめ、 働ける限り貢献する社会へ
  2. 子どもや教育への投資を財政における最優先課題に
  3. 「公」の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手に (公共事業・サイバー空間対策など)

 

これにより、 個人の帰属・つながりを回復し、不確実でも明るい未来を実現することが可能なのではないか。

  

制度が本来意図しない形で高齢者の選択肢を狭めているのではないか

社会保障制度は、年齢による一律の区分を廃止し、個人の意欲や健康状態、経済状況などに応じた負担と給付を行う制度に抜本的に組み替えていくべきではないか。

 

このことが、個人の生きがいや社会のつながりを増やすとともに、結果的に財政負担の軽減にもつながるのではないか。

 

変化が激しく、特定の「成功モデル」もない現在の生き抜き方

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今の子供たちの約6割が、大学卒業時には、今存在していない仕事に就くと言われている。 20年後には多くの大企業も存在しなくなっている可能性がある。

 

しかしながら、シルバー民主主義の下で高齢者に関する予算は当然のように増額される一方、 教育の充実を図るためには新たな財源を見つける【負担増】か、その他の予算を削減する【給付減】しかないのが現状だ。

 

優先順位を逆転し、子どもへのケアや教育を社会に対する投資と捉え、真っ先に必要な予算を確保するよう、財政のあり方を抜本的に見直すべきではないか。

 

その際、単に今の学校教育の予算を増やすのではなく、民間サービス、最先端テクノロジー、金融手法なども活用し、何をどう教育するかも含め、非連続な転換を図るべきではないか。

 

個人が「公」の担い手になる

本来、「公」の課題こそ、多くの個人が生きがい、やりがいを感じられる仕事であり、潜在的な担い手は大勢いるはずだ。

 

意欲と能力ある個人が「公」の担い手になることで、より抜本的な改革を進める土壌となるのではないか。

  

さいごに

2025年には、団塊の世代の大半が75歳を超えている。 それまでに高齢者が支えられる側から支える側へと転換するような社会を作り上げる必要がある。

 

そこから逆算すると、この数年が勝負。かつて、少子化を止めるためには、団塊ジュニアを対象に効果的な少子化対策を行う必要があったが、今や彼らはすでに40歳を超えており、対策が後手に回りつつある。

 

今回、高齢者が社会を支える側に回れるかは、 日本が少子高齢化を克服できるかの最後のチャンスなのだ。 2度目の見逃し三振はもう許されない。

 

日本は、アジアがいずれ経験する高齢化を20年早く経験する。これを解決していくのが日本に課せられた歴史的使命であり、挑戦しがいのある課題ではないか。日本社会が思い切った決断をして変わってみせることが、 アジア、ひいては国際社会への貢献にもつながるのではないか。

 

以下、原文。

不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~